コロッケ社長 奮闘記 第五話

幼稚園時代、引っ込み思案で「すみっコぐらし」なトモヒロ少年の日常をご紹介します。ジャングルジムに登れなかったり、友達の輪に入れなかったり……それでも自然や猫と遊びながら、自分なりに過ごした彼がどんな経験を重ねたのか?

卒園後、先生に「そのままでいいんだよ」と背中を押された少年が、小学校に進む前に感じたこととは?

「子どもとどう接するべきか」を考えさせられるエピソードが満載です!ぜひ読んでみてください。

第五話 コロッケ社長 奮闘記

幼稚園に入園し、引っ込み思案・あかんたれのトモヒロ少年は、幼稚園でも「すみっコぐらし」の日常生活を送っていました。

ジャングルジムにのぼる時も、男の子で一人、こわくて登れない。。(つд⊂)エーン
同じクラスの子が、何人かで遊んでいても、輪の中に入れない。。

親戚のおばちゃんが家に遊んできた時は、さっとそこから立ちさり、奥の部屋に隠れている。。
そんな感じでした(*´▽`*)

ただ外で遊ぶのは好きだったので、一人ででも一日中近くの公演や田んぼで遊んでいました。
寂しいと思ったことはなかったように思います。

虫やカエルや、砂場で遊ぶ。
家に猫がいましたので、猫と遊ぶ。
そんなことをしていた記憶があります。

幼稚園のイベントで、父親と一緒に、木を切って模型を作る、というのがありました。
年少さんのときは船を、年長さんの時は飛行機を作ったのを覚えています。

ただ自信のないトモヒロくんは、何もできず、ほとんど父親が作っているのを横で見ていました(;^_^A

卒園アルバムでは、将来なりたいものを書くところに、よく分からないので、
適当に「パイロット」と書いていました。(;^_^A

そんな感じで幼稚園時代は過ぎていきました。
トモヒロくんの自信のなさは、周りとの関わり、ほめられることがない、それどころか、そのあかんたれぶりに、さらにダメ出しされる。

そんなんで、さらに増幅していった気が。。

覚えているのは、卒園後に、幼稚園の先生に、「なでなで」してもらったことを覚えています。「いやー、大きくなったねー」ナデナデよしよし。

「ぼくはこのままでいいんだー。」
少年ながらそんなことを思ったのかもしれません。

そんなことって覚えているですね(^▽^)/
子供の時の関りって、ホント大事(´―`*)ウンウン

そんなともひろ少年が、いよいよ1年生になります。

コロッケ社長より
つつき

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【11月・12月】コロッケ社長のイベントのお知らせ

コロッケ社長の講演会の情報をお届けします!今回は3つの公演会の出演が決定しました!

【11月・12月】 コロッケ社長 イベントのお知らせ

 コロッケ社長の講演会の情報をお届けします!今回は3つの公演会の出演が決定しました!

① コロッケで世の中を良くしたい2代目コロッケ社長の業績回復手法
 ~「食の安心安全」に基づく商品開発~
日時・場所:
2024年11月26日(火)
14:00~15:30 開催
大阪駅前第3ビル 19階

 大阪商工会議所 北支部が開催する経済講演会にて
コロッケ社長の出演が決定しました!
 前半は、コロッケ社長が父親の会社を引き継いで今に至るまで、どのように会社を続けてきたか。そんなお話をさせていただきます。
 後半は、食の大切さを、ケミカルクッキングという実験を通じて、食について皆様と探求する時間になればと思います。
 ご参加お待ちしております。

② 生活の中の環境問題を考えるセミナー

日時・場所:
2024年12月3日(火)
10:00~12:30 開催
豊中市立環境交流センター

 落語家とのコラボ講演会!
 前半は、落語家の桂鞠輔さんが環境問題について落語で楽しく語っていただきます。後半は食の安心安全について、コロッケ社長がケミカルホールディングや寸劇を通じて、面白おかしく、そして真面目にお伝えさせていただきます。ぜひご参加ください!

③ 木村秋則講演会・映画上映会

日時・場所:
2024年12月8日(日)
9:30 開場
16:30終了予定
大阪市扇町 関テレ扇町スクエア

チケット料金:
講演会+映画 3,500円
講演会のみ 3,200円
映画のみ 1,700円

 自然栽培フェア
 コロッケ社長も実行委員になっています。自然栽培をより世の中に広めて、食の世界から素晴らしい世の中と作っていく、そんな事を創り出す一歩になればというイベントです。
 奇跡のリンゴで有名な、木村秋則さんをお呼びして、講演会・上映会・パネルディスカッションという内容です。木村秋則さんの生の声をぜひ聴きに来てください。後半のパネルディスカッションでは、コロッケ社長も熱く熱く語ります!!是非!お越しください!

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コロッケ社長 奮闘記 第四話

 天真爛漫に育っていた、トモヒロ少年でしたが、4歳ごろに母親からの(愛情を込めた(;^_^A)痛恨の一撃を食らって、すっかりふさぎ込むようになってしまいました。。
 あんなに天真爛漫だったトモヒロ少年が。

第四話 コロッケ社長 奮闘記

 天真爛漫に育っていた、トモヒロ少年でしたが、4歳ごろに母親からの(愛情を込めた(;^_^A)痛恨の一撃を食らって、すっかりふさぎ込むようになってしまいました。。
 あんなに天真爛漫だったトモヒロ少年が。

 写真でもその雰囲気の変化、ビフォーアフターは手に取るように分かると思います。
Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 さて、そこから少し時間が過ぎ、幼稚園に入園することになりました。ふさぎ込みトモヒロ少年は、入園式の時、祖母が付き添いに来てくれました。(母親は小学校の先生だったので、多分自分の小学校の入学式だったのでしょう)
 で、部屋に入るなり、泣きじゃくって、泣きじゃくって、後ろの窓の外から見ている祖母に向かって泣きじゃくっていたことを微かに覚えています。祖母は私の方見て、ニコニコしている(⌒∇⌒) そんな感じでした。
 もう「あかんたれ」丸出しや。。

 幼少期の体験って、その後の人生に大きな影響があるのだなーって、このコロッケ社長の奮闘記を書いていても改めて思います。
 さあ、これから幼少期のトモヒロ少年の人生が始まりますが、また続きは次回に。お楽しみに!

追伸
 先日、とある方とお話した中で、その方の息子さんが小さいころ、私と同じような舌足らずだったそうです。
 私は「おかあしゃん」とサ行が苦手だったようですが、その息子さんは、「おたあたん」と言っていたそうです。おそらくカ行とサ行が苦手だったよう。(その方は、息子さんには何も言わなかったそうです。そのうち「おかあさん」と言えるようになったとか)
 初めてそんなことを聞けて、何か嬉しかったです!そんな子は、きっとたくさんいるのでしょうね。
 トモヒロ少年は、なんてピュアだったのだろうと、愛おしくなります(o^―^o)ニコ
 小さなお子様をお持ちのお母さん。色々心配することがあると思いますが、多くのことはその子の個性だと思って尊重して、心配し過ぎずに、あまり余計なことは言わずに、そっと見守るようにしてあげてくださいね。(^▽^)/

コロッケ社長より

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コロッケ社長 奮闘記 第三話

 さて、天真爛漫に育ったトモヒロ少年。(右の写真。それが今ではこんな姿に変わり果てて。。なんて今の私も大好きですよ)
 よく人を笑わせては、喜んでいる、そんな明るい幼少期時代。かすかに覚えています。

第三話 コロッケ社長 奮闘記

 さて、天真爛漫に育ったトモヒロ少年。(右の写真。それが今ではこんな姿に変わり果てて。。なんて今の私も大好きですよ)
 よく人を笑わせては、喜んでいる、そんな明るい幼少期時代。かすかに覚えています。

 でも、そんなトモヒロ少年に転機が訪れます!

 「お母さん大好き!」たぶん毎日甘えていたんでしょう。そんな大好きなお母さんから、
ある日衝撃的な一言、痛恨の一撃!を食らうことになってしまったのです!
 当時、隣の家に、ひでくんという、1歳年下の男の子がいました。私が4歳で、ひでくんが3歳ぐらい。一緒によく遊んでいました。
 で、当時私がまだ舌足らず?だったようで(子供時代にはよくあることだと思います)、母親のことを、「おかあさん」ではなく、「おかあしゃん」と言っていました。
 私はそんなことを言いながら甘えていたようですが、ある日それを見かねた母親が、「おかあしゃん、て。となりのひでくんはあんたより1歳年下やのに、もうちゃんと、『おかあさん』って言ってるよ。それやのに、あんたはいつまでも【おかあしゃん】って。。 なんで、『おかあさん』って言えないの??」
 ピュアでお母さんに甘えていた、トモヒロ少年。
 
 ガーン!という強~烈な衝撃が全身に走りました。
 頭が真っ白になった記憶が、ほんの微かですが、覚えています。
  「なんで大好きな『おかあしゃん』から、こんなこと言われないといけないんだろう。。」

 ただただ、ショックで、まさに立ち尽くすという感じになってしまったトモヒロ少年。
と同時に、ショックのあまり持ち前の天真爛漫さを、すっかり失ってしまったようです。

 ここから、ピュアで、内気で、あかんたれの、苦難の道のりが始まるのでした。

つづく

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コロッケ社長 奮闘記 第二話

私は大阪府茨木市で産まれました。
3600g越えの立派な赤ちゃん(・∀・)ニヤニヤ
姉二人の末っ子長男として、この世に生を受けました。

1970年産まれ。
53年前、以前の大阪万博の年ですね。

 昭和一桁産まれだった父親からすると、待望の「おぼっちゃん」だったようで、とても嬉しかったようです。

第二話 コロッケ社長 奮闘記

私は大阪府茨木市で産まれました。
3600g越えの立派な赤ちゃん(・∀・)ニヤニヤ
姉二人の末っ子長男として、この世に生を受けました。

1970年産まれ。
53年前、以前の大阪万博の年ですね。

 昭和一桁産まれだった父親からすると、
待望の「おぼっちゃん」だったようで、とても嬉しかったようです。

 姉二人の末っ子の男の子ということで、姉からの言い分では、「お母さんもあんたにはめっちゃ甘かったからな!」と大人になってから良く言われました。

 ということで、幼少期は甘やかされて育ったようです。

そんな感じで天真爛漫に
育ったトモヒロ少年。
アルバムを見ると、何てカワイイ!

(以下写真。それが今ではこんな姿に変わり果てて。。なんて今の私も大好きですよ)

 よく人を笑わせては、喜んでいる。そんな明るい幼少期時代。自分でも覚えています。 
 でも、そんなトモヒロ少年に転機が訪れます! 
 「お母さん大好き!」たぶん毎日甘えてたんでしょう。そんな大好きなお母さんから、ある日衝撃的な一言、痛恨の一撃!を食らうことになってしまったのです!
 純粋無垢なトモヒロ少年には、あまりにもショックすぎる事件が!
 さて、果たしてトモヒロ少年に、一体何があったんでしょうか。。

第三話に続く

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コロッケ社長  半生の奮闘記

もともと私はITの世界で働いていました。

 が、なぜそんな人間が、コロッケの事業をするようになったのか?

 不思議に思われる方も多いので、何度かに分けてお話させていただきます。

 私は、小さいころからとても引っ込み思案で、恥ずかしがり屋で、あかんたれ(関西の方言 :男のくせに意気地なし、のような意味合い)の人間でした。

第一話 コロッケ社長  半生の奮闘記

 もともと私はITの世界で働いていました。

 が、なぜそんな人間が、コロッケの事業をするようになったのか?

 不思議に思われる方も多いので、何度かに分けてお話させていただきます。

 私は、小さいころからとても引っ込み思案で、恥ずかしがり屋で、あかんたれ(関西の方言 :男のくせに意気地なし、のような意味合い)の人間でした。

(今の私の姿を見ると、えーっ!と思われるかもしれません。)

 自分のことが嫌いでしたし、自信も全くありませんでした。

 そんな私に対し、小さい頃は祖母から、「ともくんは あかんたれやなあ。。」っとよく言われたものです(;^ω^) もっとも愛情を込めての言い方でしたが(^▽^;)/

 そんな私ですが、気が付けば今や多くの人前でコロッケ型のヘアスタイルになって、コロッケソングを歌ったり、コロッケダンスをしたり。。最近は頻繁に食育講座など人前で話をしたり、寸劇?も行うようになりました。そして、なんとこれがめっちゃ楽しくできている!

 そんなこと以前の私では考えられなかったこと。

 人生とは、本当に不思議なものです。

 第二話へつづく

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